身体が埋まっていく

渓流釣りをするようになった。奥多摩の方まで車か電車で、2時間近く移動をして、川に向かう。渓相、川の流れとかその付近の岩場の様子を見て、ここで魚を捕らえるということにして居座り始める。石に引っかかって流れが戻っているところ、急に深くなって水の流れが止まっているところ、別の川が合流して水が縒れたところ。魚がいるところは大体そのあたり。ただ流れている部分か、魚がいそうな部分かという見分け。仕掛けを竿につけて、大体は虫を餌にして投げる。そこら辺の石をひっくり返して出てきた虫を捕まえて針に刺すこともある。流れに合わせて竿を動かす。時間はすぐに過ぎる。次第に水の中がよく見えるようになってくる。魚の気配、匂いとは別の、波のよれとか光の反射とか。また虫をつけて針を流す。その繰り返し。当たりがある、その瞬間はいつも突然訪れる。水の中にある足はうまく踏ん張ることができない、魚は勢いよく泳ぐから見た目より重たい。でもあっけなく引き上げて網に入れる。

思えば川をよく見に行った
柵から身を乗り出して水に手を触れ
この水がどこかから流れてきて
どこかの海へ辿り着くことを想像した
ここは、流れている全体のほんの一部で
ほんとうは遠くと遠くを結ぶ線
ここにいながら
ここではない場所のことを考える

ハサミで腹を切り裂いて、エラのつながりを切る。空気が入った透明な袋、心臓はとても小さい。血合いに傷をつけて血を洗い流す。取り出した内臓と身になった魚を並べて撮る。
いつの間にか濡れることなど気にならなくなった。魚がいそうなところはいつも少しだけ遠い。針を流したいポイントを狙って、膝下までじゃぶじゃぶ浸かる。流れが速い。足首まで浸かった途端に簡単には立っていられなくなる。川底の小さな小石が隙間から、サンダルと足の裏に挟まる。痛いけれど片足立ちになることもできずもっと踏ん張る。血は滲まない。

ところで、わたしの属性は全部でいくつあるのだろうか。
一〇〇だろうか。
一〇〇〇だろうか。
・・・その、わたしがいま持っている属性を、
ひとつずつ、たとえばあの山に貸し与える。
・・・山は、わたしの属性を獲得するたびに、
少しずつわたしになっていく。
・・・何千年後、何万年後の風景を、山であるわたしは見るのだ。
(伊藤亜紗「14の夕べ テキスト」278ページ)

川がどこかからどこかを繋いでいるというイメージは上空からの視点。そしてそれは、あくまで想像だった。近くに行くほど、下半身が水に浸かるほど、魚のいる位置に狙いをすますほど、川の線には奥行きが生まれる。川はチューブのような立体的な流れになっていて、魚はそのチューブの中を楽しんで泳いでいる。いま目の前にある命(魚とわたし)に必死になる。どこにもいくことができない。チューブの端が切り落とされ、水の塊として、何層にも重なった面が魚とわたしの足に圧をかける。流れに揺られながら、皮膚がふやけ、水との境目がなくなりそうになる。それでも血は滲まない。

斜面を駆け上る
わたしの身体はもう見えなくなって、遠くから声がする
山の中にわたしの身体は埋まってしまった
でもそこに道がある、だれかが拓いた
どちらでもあった
最後にもう一度、一気に登ったら
もっと向こうに山が見えた

川魚は、魚の味がつよくする。瓜に似た、鼻の奥を通り抜けるような青く淡白な味。食事は、身体の中を“通す”こと。さっきまで泳いでいた魚は、口の中や喉に触れながら、身体のチューブを通っていく。喉の皮膚は、足の小指まで一枚で繋がっている。縁から剥がしたりはできない。わたしの足が浸かっていた川、こうやって遅れて喉の皮膚に触れて、今度は身体の方の温度に揃っていく。25cmの魚を食べたとして、体内で血になるのはおよそ2ml。昨日、紙で切った指先からすぐになくなってしまう。

想像は、わたしの身体に働きかける
皮膚が分厚くなって、輪郭がはっきりしてくる
もっと、もっともっと
足は踏ん張ることしかできない
ちょっとでも触れることができたらそのまま
入り込んできたものを通してしまおう

わたしはわたしのまま
それ、に身体が埋まっているかどうか
ふっと離れて、それ、からまた戻ってこれるかどうか
全部引きずって最後に、ぱっ、と離す

震える皮膚
手がじんわりしてて、血の流れる音とか、喉の渇きとか
そういうのが全部つながった身体で声を出す


2025.10.05