このまえ、阿佐ヶ谷のシンチェリータで食べた「梅」のジェラートは、本当に久々の味だった。
小さい時にアレルギーが発覚してからというもの、バラ科の食物は事故(あるいはギャンブル)のときを除いて、ほとんど口にしてきていない。わりと重度で、血液検査の項目に含まれていた「桃」と「りんご」は5点満点中5点。「桃」に至っては数値上は5点だけれど、隣にあった棒グラフは枠を大きくはみ出していて、検査結果の紙を一枚おおく受け取ることになった。
症状としては、喉のかゆみ、皮膚の腫れが現れる。満点を叩きだしてからは「桃」をそのまま食べることなんてなかったからわからないけれど、気道が狭まるとも言われている。だから、最近はめんどくささでしなくなっているときも増えているのだけど、外食のときはたいてい、抗アレルギー剤とエピペンを持ち歩いている。複数回、一緒に食事をすることになる人には、エピペンの使い方のレクチャーとぼくが「救急車を呼んで」と言ったときはそれが冗談ではないことを伝える。
「りんご」は、すりおろしたものが入っていることが多いから、最初のうちはよく事故で摂取したりしていた。コンビニで買ったメンチカツに、ソースを付けられないと分かった時は相当落ち込んだ記憶がある。
10年近く、怪しいときは成分表示を見たり、なんとなく怖いときは避ける、みたいなことをしていると、食べていないのにだんだんその味がわかってくる。口に入れたときに、あの酸味と甘味が程よく混じった華やかな香りがすると、とたんに、からだは嚥下を拒否し、吐き出してしまう。このまえも、山査子サワーをひとくち飲んだだけでからだが変な感じになって、交換してもらった(さすがにお店だったので吐き出しはしなかった)。帰り道で調べたところ、「山査子」もちゃんとバラ科だった。
なにかを食べることは、からだの内部になにかを取り込むことだということが、なんとなくずっと意識にあったんだと思う。蕁麻疹が出る、みたいな症状だったらこんな意識になったかは分からないけれど。確実に内側で、しかも気道という生命活動に必要な部分が変わってしまう可能性がある状態を抱えているから、「桃」が胃の中でなにかに触れてくる、ということが常に意識された。そして、最近は、味やにおいでそれが判別できるようになってきて、そのときに、この質感で触れたい、と思ったのだった。
『手の倫理』(著:伊藤亜紗)で、「接触」の歴史について説明するところがあって、「視覚は対象と距離が取れるから安全で、嗅覚や味覚は対象と直接的に触れ得るから危険」みたいなことが書かれてあった。味はもちろんのこと、においを構成する物質が、からだ(この場合は鼻腔)に触れることで初めて認識できる、ということだと思うのだけど、かなり納得した。
口に入れるものをつくっているとき、嗅覚と味覚のことばかり考える。ひとに何かを食べさせるとき、どうしても触れてしまう内部のことを気にしないわけにはいかない。あまりにも感覚に直で触れる。組み合わせを考える試作を「味覚コントロール」とふざけて呼んでいるのは、食べさせる人の感覚を、そのまま(まさしく)触って操作することにつながっているように思えるからだ。この、感覚に手ごと突っ込んで触る、みたいなことを、ずっとやりたかった。
「梅」を食べて思い出してしまった、あの酸味と甘味が程よく混じった華やかな香りを、どう使おうか、ずっと考えている。
2022.08.19
生地をこねる時間があった。生地をこねながらぼくは、引っ越してすぐのなにもない家で窓を開けると、遠くから笛のような太鼓のような音が聞こえた日のことを話していた。わたしもこねていい?と言うので、そういえば事前に話しているときも少しやりたそうにしていたなと思い至り、もう小分けにしてもいい頃合いになったところで代わってみる。こねるという動きは、あの日の質感と似ているからというだけで選ばれた行為だったのだけれど、渡したとたん、このしっとりと艶めいている小麦粉と水を合わせたものは、ほとんどあの日と同じだという確信がおとずれた。別に、こねられた生地を触ったくらいですべてが伝わることなんてないはずだ。けれど、ぽつぽつと話に答えてくれるその様子を見たとき、この時間がずっと続けばいいとさえ思った。ぼくとその人の感覚は触れ合い、あいだではたしかに「摩擦」が起こっていた。
並んで歩いている時間があった。まともに会うのは高校を卒業して以来だったこと、二人ともずっと歩けてしまうこともあって、どこに向かうでもなくただ話しながら歩く。ふと、急に目の前に神社があらわれて、同時に黙り込んだ。ほんの数秒後にはまたもとの調子で話の続きを促される。よく見ようとしたとかではなく、たぶん、そうすることしかできなかったあの瞬間のことを今でもよく覚えている。ひとつのものを見つめながら、まったく別のこととまったく同じことを感じていたそのときもまた触れ合いは起き、「摩擦」が生じていた。 舞台に立っているとき、この「摩擦」を起こしたいと思っている。けれど、起こそうとしている自分は同時に対象でもある、というややこしい状況が阻んでくる。待つことで、触れるともわからないものに何度も手を伸ばしやっとつかんだ感覚も、微かな段差で取りこぼしてしまったりする。生地や神社は、いまこの瞬間を起点としたそのもの/その場の時間に意識を引き留めてくれているのだと思う。1秒がすこしだけ長くなる、時間に包まれたからだはぽっかりと浮かぶ。
ごはんを振る舞うことは、舞台に立つことと似ている。準備を繰り返し、目の前にいる人と一度はじまったらやめるまで止まらない時間をつくることも、終わると、ものが残らないことも同じだ。つくられた料理も、この手がこしらえたことが明らかな以上、自分にとっては対象としては機能していない。ひとつ決定的に違うことは、ごはんを振る舞うことには必ず、物理的な接触が伴うことだ。味覚や嗅覚を、いやでも作動させてしまう。適切な距離はもはや崩壊し、手を伸ばすのではなく、すでに掴んだところからはじまる、大丈夫?
準備はすこしずつ進んでいて、できるだけ特別なことになりすぎないようにしている。ぼくが日々をやり過ごしているところにはじめましての人がやってきて、つくったごはんを食べる。危うさを保ちながら、感覚を掴んだところから、どういう時間をつくれるのか。この家で起きる「摩擦」を、ほとんど確信しながら待ち望んでいる。
2022.10.12