たいていの場合、程よい紙袋のようなものに包まれてすんなりと運ばれてくる。
持ち主は世話の方法とお礼をいくらか雑に伝えると、大した惜しみもない素振りでいなくなってしまう。
適当な場所に移したとしても最後まで馴染むことはない、と思っているし実際にそうだ。
返ってこないのを分かっているから、返事を待つような声掛けをあえてすることもないな。
教えられた通りの頻度でする水やりは日課になった。
あまりにも簡単に持ち上げられるから、そいつが生きているということを信じられずにいる。
だから、葉が一枚ふえたことに気づいてぎょっとした。
視線を送り、ただ眺めている。
そこに、名前がつけられるほどのことはない。
待ちながら、どうやり過ごしてきたのかをぼくだけが知っている。
変化はほとんど時間だった。
いなかった分だけ節目を増やしたそいつを見たとき、持ち主は、
2022.08.26
山を見ていると、山もこちらを見ている気がしてくる。
山、というときは空との境目をつくる稜線のことばかり気にしているけれど、線は一つひとつ木木、の葉葉葉葉葉があった。
植物を見ていると、見られていると思うようになったのはいつからだろう。
根を張る、ということが、ここにいるという意味を指すことにひどく納得するようになった。
いないことで、見ることができなかった。
いないことで、いないことを考えた。
いないことで、いることができた。
いないことで、
2023.06.19